2006年02月08日

戦国自衛隊を見て

こんばんは。

 今日の戦国自衛隊を見た感想というか、テレビの方のブログに書こうかとも思ったのですが、戦国大名そのものについても関係するのでこちらに書きます。
 タイムスリップものは昔から好きで、かわぐちかいじの「ジパング!」とか大好きなのですが、今回の戦国自衛隊は、ドラマとしてはめちゃくちゃ面白かったというのが感想です。最後の部分、ハッピーエンドにならなかったのも良かった点ですが、さらに終わりの直前の小早川秀秋が機関銃で乱射するシーン、武将姿に機関銃というのもシュールで味があったのですが、セーラー服と機関銃の薬師丸ひろ子を彷彿とさせるものでした。友を守るために乱射するという点において、目高組を守るために戦った、薬師丸ひろ子演じる星泉組長と共通するものがあります。藤原竜也には、ぜひ「か・い・か・ん」と言ってほしかったのですが(笑)。
 
 しかし、実は、結構史実に忠実なところも垣間見えたりして、その意味でも興味深いものでした。
 まず @ 小早川秀秋は実は裏切り者と断言はできないという立場をとっていること。関ヶ原の戦いは北政所(高台院) 対 淀殿という側面があることは指摘されているとおりですが、高台院の甥である秀秋がどちらの立場をとろうとそれは裏切りとはいえないのではないか、とも考えうると思います。
 さらに言えば、ドラマ中に太平の世を開くために家康の味方をしたことが裏切りと表現されるならばそれでよい、という意味のセリフがありましたが、史実から言ってもそう考えることもできると思います。
 A 徳川家康のせっかち+自己中ぶり。実際の家康も、多分そうだったはずで、決してそれは家康の業績を低めるものではありません。ついでに言えば、もっと三河弁もしゃべってほしかった。
 B 徳川家康が、石田三成を「恩と義を重んじる」と高く評価したこと。三成がいつから大悪人になったか定かではありませんが、一方の雄として家康に対抗しうる名将であり、それなりの器はあったということは確かだと思います。
 などなど。

 とくにこのドラマで小早川秀秋のイメージは大幅に改善されたと思います。歴史の教科書を読む限り、なんてとんでもないやつだ、という印象を持つ子供たちがほとんどのはずですから。巨人ファンにとっては「小早川」という苗字は別の意味でもいい印象がありませんでしたが(笑)。
 
posted by きよくん at 00:01| 戦国大名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月11日

信長の野望 決戦V 梟雄・松永久秀 暗殺の後に飲むお茶は…

 こんにちは。今日は、かの悪役・松永久秀についてちょっと。
 信長の野望シリーズで配下にして「古天明平蜘蛛」を巻き上げると、すねて一気に忠誠度が下がるのは面白いのですが、やはり、暗殺させまくるのが一番の使い方でしょう。僕が好きなシリーズ「天翔記」では、グラフィックがどことなくお饅頭みたいな久秀が「暗殺の後に飲む茶はまた格別」と、実にシュールな味を出してくれます。天翔記については、後日、伊東義祐について書くときにまた書きますが、暗殺と引き抜きでほとんど片が付くので別の意味で面白いですね。まあ、まともにすべての城を攻めていったら、統一まで何十時間かかるか分かったものではありません。松永久秀、龍造寺隆信、毛利元就、宇喜多直家、という暗殺大名と、百地三太夫、風魔小太郎、服部半蔵など忍者軍団で暗殺隊を編成して、平時も戦時も暗殺暗殺(笑)。意外なことに善人っぽい徳川秀忠も暗殺技能を持っているんですよね。
 決戦3での久秀は、何度も信長軍と戦います。第8章での最後の戦い自体はそれほど手ごわくないのですが、そこでは柳生宗厳を単騎駆で倒すと戦後に配下に加わるのでぜひ配下にしたいところです。ただ、当然宗厳は強いので、こちらもだれか強化した猛将タイプをぶつける必要があります。僕の場合は、「アマリア」でやっつけましたが。
 久秀は悪役とされますが、その業績(所業?)からもやはり一代の英雄であったと思います。足利義輝暗殺、東大寺大仏殿の焼き払いなんて、悪すぎてある意味爽快でさえあります。部分的には信長を超えているかもしれません。ただ、領土ではいい君主で慕われているみたいですね。このあたり、吉良上野介と似ています。
 ただ、(ゲームのグラフィックと異なり)美男子で文化人として優れた資質があり、その資質は孫(といわれる)の松永貞徳に受け継がれましたが、高校の歴史では、松永貞徳が松永久秀の孫であることなんて教えてくれませんでした(マニアックなので教える必要も無いでしょうが)。また、大変な合理主義者で、自然現象を天意とは捉えなかったとか、仏像は木と鉄の塊に過ぎないとか、信長は久秀を模範としていたのかもしれません。爆死の日が東大寺焼きうちの日と一致したのもただの偶然とするあたり、面目躍如です。そんな久秀が、土の塊の茶器に執着したのもまた面白いものです。
 さて、この久秀、何度も何度も裏切りを重ねたのですが、人間らしいところも。1年が寿命といわれる鈴虫が何年生きるかを実験したところ3年生きたので、人間も125歳まで生きることが出来るはずだ、として125歳まで生きようとしていました。たしかに、人間は本来125歳まで生物学的寿命はあるというのが最近の学説ですが、500年先取りしていたというのは、今の世なら最先端の科学者の仲間入りです(笑)。古代の神武天皇などはみな150歳以上生きていたのですからもっともな話です(←本当ですよ。当時はストレスも化学物質も無い時代、みんな長生きが当たり前でした(笑))。もし、久秀が68歳で爆死しなければあと57年、つまり1635年まで生きていたはずで、これは徳川家光も危ういですね。南光坊天海とともに100歳以上の老人が幕府を陰で操る・・・。そもそも、久秀は爆死せず逃げのび、秀吉の側近となったという説もあります。このあたり、明智光秀が生きていて南光坊天海として家康側近になった説とそっくりです。これはひょっとして、本当に125歳まで生きたかも・・・。そうすれば、古代神話の時代を除くと、日本最高齢記録は泉重千代さんではなく、松永久秀か?(笑)
今日は長くなりました。では。


posted by きよくん at 15:50| 戦国大名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

信長の野望 長宗我部元親

 この記事は、別ブログにちょっと違った形でのっけています。

 小学生の頃から、もともと歴史が好きだったのですが、特に好きな時期のひとつが戦国期です。きっかけは、今から20年ほど前の名作ゲーム、「信長の野望・全国版」です。このゲーム、「信長の野望」の続編ですが、前作は中部地方だけだったのに比べ、全国の全大名を選べる、という、当時としては画期的なゲームで、高校1年のとき、1年間丸々つぶされました(笑)。当時はMSX版(懐かしい)、大学の頃はPC−8801FR版(これも懐かしい。まだ家にあって動きます)をやり、さらに今はウィンドウズ版とPS版をやってます。20年経っても飽きません。このゲームにより、戦国武将のどうでもいい(?)知識が身につきました。
 このゲームを手がかりにしつつ、今後も、たまに、戦国大名について書いてみたいと思います。まずは、四国の強豪「長宗我部元親」。史実では「地味」!子供の頃は女と間違われ「姫若子」とよばれたが、初陣後に「鬼若子」とあだ名が変わり、土佐の統一で「土佐の出来人」、さらには四国をほぼ統一したことから、名大名であることは疑いない。一応始皇帝の子孫だし血統的にも文句なしである。政治学者・憲法学者としては、「長宗我部元親百箇条」を出していることも注目される。
 ただ、豊臣秀吉に臣従せざるを得なかったとは、時期が悪かったとしか言いようが無い。その後の長宗我部家は、ご存知のとおり凋落していく。このあたりが、伊達、島津家と大きく異なるところである。
 さて、ゲームの話に行くと、「信長の野望・全国版」では、まず、さっさと、十河存保、細川晴元、河野通宣、一条兼定を暗殺して、入札して四国統一(←ありえない!(笑))。続いて軍勢を東西に分け、九州方面軍は大友宗麟、中国方面軍は宇喜田直家から侵入し、九州・中国統一後は太平洋側と日本海側に軍を分け、近畿・中部へ。その頃にはそれぞれの地域でも淘汰が起こっているので、その大名本国の大名の部隊を狙い撃ちして、おまけで他の国も獲得できます。そして、天下統一。つまり、信長の野望で初めて天下統一したのは、長宗我部元親でした。土佐藩とは縁もゆかりも無いこの僕が、長宗我部元親ファンになるとは、ゲームの影響力はすごいものです(笑)。その後、20年で、ゲームに登場する全大名で天下統一しました(暇人です)。また、信長の野望のほかのシリーズもやりつくしました。他の大名についてはまた書きますが、それでもやはり長宗我部元親は思い入れが深いです。
 次の戦国大名シリーズは、郷土の英雄(?)伊東義祐にしようかな?

posted by きよくん at 18:48| 戦国大名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする