2007年05月31日

曹魏は強し

無双OROCHI、ようやく魏でクリア。

しかし、難易度普通でやっていたら前に進めなくなってしまった。
一通りやるために途中から「易しい」にしてしまった・・・。


それにしても左スティックのため操作しにくいことこのうえない。
次回作では改善してほしい。
posted by きよくん at 20:56| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月13日

無双OROCHI

ガンダム無双に一区切り。
無双OROCHIを始めたのだが、結構敵が強い。魏で開始したのだが、2面の「南中」の面ですでに苦しいような・・・。

とくに、困っているのが、コントローラー。
ファミコンの大昔から、移動は左の十字キーでやってきたのだが、今回、スティックでしかできないようだ(変更できないようだが、勘違いであろうか)。

スティックは使いにくいので困ったものだ。
posted by きよくん at 14:28| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

日本人の好きな偉人

先日、テレビで日本人の好きな偉人・英雄編をやっていたが、その中で確か曹操が67位。諸葛亮が63位(だったっけ?)。

これは興味深かった。

というのは、前にあった「天才編」では、曹操が90位で諸葛亮が4位だったのに、英雄編では差が縮まっているからだ。


あらためて曹操の認知度は高いと実感した。

なんといっても、別に中国を統一したわけではないし、劉備・孫権と違って正式に皇帝になったわけではないのに67位というのはいい線ではなかろうか。

まあ、それをいっちゃあ単なる軍師の諸葛亮(アオさん、ごめんなさい)が63位というのはどうかという話だが・・・。

そもそも天才編でも曹操はもっと上位に来てもいいと思うのだが、赤壁のイメージが痛いな〜。

だけど、「英雄編」で尾崎豊がベスト10入りとはどうなんだろうか。

尾崎世代としてはうれしいが、そもそも英雄かな?

posted by きよくん at 19:30| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月27日

三国志占いと司馬氏

 今日は、アオさんのちょっと前の記事にあった三国志占いをやった結果について・・。
 
 それによると、僕は・・・続きを読む
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2006年03月17日

劉禅は名君という仮説

 さて、今回は、蜀ファン、劉備ファンには触れてはいけない恥部、阿斗くんです。
 ありとあらゆるアホ扱い。成都の武候祠にも祀られてませんし、1700年たった今の中国でも馬鹿の代名詞。かの毛沢東は「人民は阿斗になってはならない」と演説してます。
 しかし本当にそうか?内容的な評価はまたの機会にして、ここでは、一つのデータを・・・
(ざっと調べたので漏れ、間違いがあるかもしれませんが、参考程度なのでご容赦を)

続きを読む
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2006年03月06日

ギエンの野望 ギレンの野望ではない(笑)

 最近三国志ネタ続きですが、ご容赦ください(笑)。
 今日は、趙雲殿からバトンを引き継いで、魏延文長殿について。
 あっ 土曜日に、ケーブルテレビのチャンネルNECOでアニメ三国志を一気に放送してましたが、疑問点が多々あり。史実ごちゃごちゃ。とくに、左慈が大活躍(!?)。あれはあれで、一つの作品ですけど・・・。
 さて、魏延ですが・・・かなり好きです。
 史実では別に悪人ではありません。楊儀との権力争いに負けただけで、蜀・劉禅に反乱を起こしたわけではありません。
 しかし、演義ではご存知のとおりの悪人です。推測するに、北伐での諸葛亮との意見の相違や、諸葛亮死後のごたごたで負けたことから、スーパーヒーローである諸葛亮を際立たせるための蜀陣営内での悪役、光としての諸葛亮に対する影とされたことが原因と思われます。その「諸葛亮は何でもお見通し」伝説の魏延に対する最初のあてはめは、まさしく、劉備の長沙攻めにおいて韓玄を倒して降伏してきたときの「反骨の相」の話です。しかし、他の主を見限って劉備陣営に帰属した武将は山ほど居ます。ちょっと後に降ってきて、魏延とともに蜀の主力となったのに、魏延とは違って諸葛亮お気に入りとなった王平なんて、徐晃と喧嘩して自分の責任を逃れるため魏を裏切ってきてます。
 ただ、この反骨の相の話は創作だとしても、諸葛亮と魏延の間はそれほどしっくりいっていなかったことはたしかで、これは、たたき上げの武人の魏延と、典型的学者の諸葛亮との肌合いの違いと言ったところと思われますが、さらに言えば、諸葛亮は魏延を使いこなすほどには器が大きくなかったと思われます。
 たしかに、孫権も知っているほど変人で性格に問題があったことは否定できませんが(笑)、関羽も張飛も性格に問題があったことから、それほど大きな欠陥とは思えません。むしろ、職人肌の一本気さの表れと考えます。
 真・三国無双4でも魏延が嘆いていますが(笑)、そもそも、親分肌の劉備は魏延を認め、魏延も劉備には忠誠心を持っていました。劉備が漢中太守に任命したことからしても、武将としての能力とともに、行政力(統率力)も高く評価されていたと思います。韓信を尊敬し、自分のことを韓信になぞらえていたことからも、武力だけの人間ではないと思います。太守をしていたのに、真・三国無双におけるあのキャラは何でしょうか?あれでは、太守どころか日常生活も出来ません(笑)。
 蜀への侵攻では主力として活躍、太守就任に先立つ漢中争奪戦では矢で曹操の前歯を折る(土曜日のアニメでは黄忠が矢をうったことになっていて魏延は登場すらしませんでした・・・)など素晴らしい功績です。南蛮においては諸葛亮の命令を忠実にこなし、わざと負け続ける命令も堅実に遂行し、諸葛亮に絶賛されています。 
 北伐においても王双を計略的行動で破って曹真が「うーん」と卒倒したり(笑)、司馬懿親子(+自分も)をおびき寄せたり、その作戦遂行力と武力は、カス武将ばかりになりつつあった蜀においてはかけがえのないものでした。
 子午谷経由で長安を急襲する策をとっていたら、ひょっとして蜀が勝っていたかもしれない・・・そう思うと、諸葛亮、やはり器が小さいのか(孔明ファンには申し訳ない(笑))。
それにしても、演義では孔明の祈祷を妨害したり、最後は馬岱に斬られて楊儀にふんずけられたり、散々です。その影響で今も中国では不人気ということを中国人から聞きましたが、どうせそうなるなら、楊儀なんかほっといて魏に降ってまた再度裏切るとか、劉禅との上表合戦なんかしないで速攻で楊儀を斬って漢中をのっとるとかしたら魏延が皇帝になり「ギエンの野望」となったかもしれませんね。なんか、魏延が皇帝って、ちょっと嫌な国ですが・・・(笑)。

 なお、僕は、ガンダムは第一シリーズについて山のようにプラモデルを作ったくらいで、その後はフォローしてません。「ヤマト」派でしたので・・・。
posted by きよくん at 18:08| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

若大将・趙雲

 前回の廖化=長寿ネタから若大将・趙雲に話を進めます。
 趙雲についても何度か書く機会があると思いますが、まずは、前回のコメントから続く「若作り」について。

 見た目と実年齢が違う人は今でも多いですよね。僕は実年齢の半分=高校生くらいに見られます。昨日は、自分のゼミの教材について、人数分を生協書籍部に注文に行ったところ、背広を着ていたにもかかわらず、「僕のゼミに所属する学生」と間違われ、店員に「勝手にこんな数の教材を注文していいんですか?先生の許可をもらってきてください」と門前払いされました。後で店長が来て平謝りでしたが・・・。

 さて、趙雲ですが、まず、魏ファンの僕としても、趙雲は姜維に匹敵するくらい好きです。客観的に見ても、蜀の中では、武力、戦略、人格面を総合すると、諸葛亮・関羽・張飛より上だと思います。そのまっすぐさたるや、コーエーの三国志シリーズでは、絶対に卑怯なことをしないという特殊な隠れプログラミングがされていたそうです。
 
 まず、ルックスは、正史によるとかなりの美男子で颯爽としたものだったとか。蒼天航路や三国無双の勇姿はそう的外れではないですね。他方、横山三国志のあの「山田太郎」がごとき絵は、少年向け漫画だとしても、お世辞にも二枚目とはいえません。あれはあれで味があるのですが。

 本題の若作りについては、一応、人名事典などでは、生没年が西暦157年(?)〜229年と書いてあるのもあるので157年生まれとすると、161年生まれの劉備より4歳年上。関羽より6歳、張飛より11歳上、諸葛亮よりは26歳年上です。ちなみに曹操・孫堅は155年生まれですのでほぼ同年代。黄忠は140年代後半生まれと推測されるのですが、ゲーム等のデータでは趙雲と10歳差ありません。おどろくのは、厳顔は、ゲームによっては、162年生まれ!趙雲より5歳年下です。
 趙雲が正式に劉備に従ったのは、劉備が袁紹のもとに落ち延びた際の西暦200年ですから、その時点ですでに43歳だった・・・これは意外です。劉備は大喜びで一緒に寝起きした(変な意味ではありません(笑))ということですが、37歳と43歳のおじさんたちだったということで、まあ、気が合う仲間が増えた、というところでしょうか。
 さて、趙雲の最大の見せ場である長坂の戦いですが、趙雲はすでに50歳だった!これは意外ですよね。阿斗を抱えて単騎曹操軍中を突破する!さらには夏侯恩を真っ二つ! その若々しい武将のイメージの趙雲が50歳・・・石田純一みたいです。
 
 赤壁の戦いの後、桂陽攻めでは趙範の兄嫁との結婚を断ります。その際、横山三国志では「妻よりも武士の面目を重んじる」とか言ってますが、すでに50歳・・・。趙統・趙広という息子が居ることからちゃんと結婚していたことは事実なので、趙範ごときと縁続きになりたくない(趙範はその後逃げ出してますし)というのが本音だと思います。
 さて、漢中侵攻戦では、老黄忠の副将となって、黄忠を年寄り扱いしてます。漫画上のルックスでは親子、祖父と孫と言った感じですが、実際は10歳ほどしか離れていなかったはずです。こりゃ、年寄り扱いされた黄忠も面白くないですね。
 蜀建国後、223年の劉備の死去後に行われた南蛮攻めの際には、66歳以上になっていたはずです。これは体にこたえます。魏延とコンビを組んでますが、年齢差約20歳。ほぼ親子です。諸葛亮の命令を無視して抜け駆けして手柄を挙げていますが、年寄りの冷や水で結構諸葛亮や多くの武将たちは「またあのおっさんが張り切っちゃって」とか言って困っていたりして・・・(笑)。
 さて、227年に始まる北伐、趙雲は70歳くらいです。黄忠が関羽とやりあった年齢を10歳ほど超えています。これは、メンバーから外されても仕方ないでしょう。サラリーマンだったらとっくに定年で年金生活です。それでも無理やり(笑)北伐軍に参加して、曹真軍を破ったりするのですが、相手が弱いのか、趙雲が化け物なのか。天水の戦いで25歳くらいの姜維にこてんぱんにやられても仕方ないでしょう。長年の疲れからか229年に死去してますが、72歳というのは、黄忠の推定75歳に迫るもので、武将としては長生きに入るでしょう。適度な運動(=戦い)と、質素なお食事が長生きした理由でしょうか。
 さて、なぜ趙雲が若いというイメージがあるかというと、やはり、漫画にあるでしょう。横山三国志では若くして登場し、その登場期間中、ルックスがぜんぜん変わりません(これは、ほとんどの武将に当てはまりますが)。白髪とか禿げの趙雲も見たくはありませんが、いきなり老人で登場した黄忠、厳顔とのイメージのギャップが大きくなった理由と思われます。そういえば黄蓋ともあまり年齢が違わないんですよね・・・。
 まさに永遠の若大将・趙雲!加山雄三、石田純一、原辰徳とならび称される素晴らしい若作りと言えるでしょう。
posted by きよくん at 16:33| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月01日

長寿番付に挑戦!廖化

こんにちは。
今日は、前々回のもう一つのテーマ「長寿」つながり?で廖化について書きます。
 当時は今より当然寿命も短いし、また、戦場に出る武将たちはなおのこと・・・そんな中、長生きした武将としては、81歳まで生きた張昭とか、推定80歳と考えられる程イクなどが居ます。老将・黄忠は年齢不詳(!)。呉軍に突撃して玉砕した際は、70代半ばだったと思われます。
 そんな中、誰が最長寿か?
 
 少なくとも演義の上では「廖化」です。黄巾賊出身で関羽に仕えるところから、蜀の滅亡まで。80年間に渡って登場します。これ、まともに考えると100歳くらいです。これには諸説あって、同姓同名別人説もありますが、多分、演義で話を創作する中で、廖化の登場するシーンが多くなってしまって寿命が延びてしまった、つまり、日本の古代の天皇みたいな感じだと思います。ただ、史実でも、80歳は超えていたと思われます。
 ただ、さすがに80歳を超えて戦場で活躍というのは、ちょっと無理があると思います。黄忠もですが、70以上で戦場に立つのは、いくらなんでも・・・・。多分、というか、司令室みたいなところとか、後方で指示を出すくらいだとは思われます。関羽、張飛その他の豪傑においても、戦場で実際に戦うのは、大体50代が限度だと思われます。
 その意味で、ジャイアント馬場をはじめ、プロレスの御大陣には敬服します。今なら、天龍源一郎、長州力、藤波辰爾・・・50代でも活躍し続ける彼らは、疲れないのでしょうか。僕は、5分くらい小走りすると疲れますので(笑)。逆に言えば、50代でもプロレスをやれるということからして、三国時代も50代までは実際に戦闘することが出来たのではないかとも思いますが・・・。
 さて、話を廖化に戻しますと、まさに「地味ー」です。横山三国志・演義では関羽が麦城で孤立した際、劉封、孟達に救援を求めて断られ、さらに成都まで行っています。正史では、一旦呉に投降した後、自分が死んだという偽りの情報を流すという廖化らしからぬ(笑)計略を用いて蜀に戻ってます。
 その後、蜀において武の柱となり活躍しますが、廖化が主力になること自体、蜀の人材不足を表しています。惜しかったのは、北伐において司馬懿をあと一歩に追い詰めた際、冠につられて逃したこと。あれで司馬懿を討ち取っていれば、蜀の英雄となったのみならず、現代に至る中国史が変わっていた可能性があります。その意味では歴史を左右しうる人物だった、というのは面白いですね。諸葛亮は「関羽だったら司馬懿の計略を見破って追いついて討ち取ったろうに」と嘆きますが、関羽と廖化を比較すること自体、かなりの無理があります(笑)。
 さて、その後も、蜀を支え、蜀滅亡時、少なくとも80歳を超えていたのにもかかわらず、剣閣で姜維とともに鍾会と互角に戦ったのは、立派だと思います。蜀滅亡直後に死去してますが、多分、はりつめた気が抜け、はっと我に返ったら、80歳を過ぎていた体にどっと疲れが出たんでしょうか・・・。
 蜀創設時の名将と比べると小粒ではありますが、後期・衰亡の蜀を支えた功績は大きいと思います。

 なお、本当の最長寿は左慈をはじめとする仙人たちかも知れません(笑)。僕の最大目標は、約130年後の「次の次」のハレー彗星回帰を見ることです。高校1年のときのハレー彗星はしょぼかったので・・・(笑)。
posted by きよくん at 15:10| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月21日

陳羣 九品中正法

 陳羣、扱いは地味ですが、曹魏三代に仕え、ものすごい政治力・内政力を持っていたと思います。
 曹丕の回に触れた、官僚制度である九品中正法は、陳羣の献策です。曹叡が遊び呆けはじめた際には何度もいさめています(まったく効果はありませんでしたが)。
 その陳羣を使いこなすあたり、曹丕も君主としてはなかなか。あまり知られてませんが、かつて、陳羣は劉備に仕えてました。しかし、劉備が陳羣の献策を聞き入れず呂布に負けてしまったのですが、それとはえらい違います。まあ、劉備も若かったんでしょうけどね。劉備は、その後の流浪時に陳羣も失ったんですが、陳羣がそのまま劉備に仕えていたら、歴史はどうなっていたかも興味あります。なんか、諸葛亮と陳羣による政治って、ちょっと堅苦しそう・・・。堅物コンビ・融通の利かないコンビで秦みたいな法治主義の権化みたいな国になったりして。
 とくに、典型的官僚であったため、女たらし・郭嘉と仲が悪かったことは面白いです。曹操に、「郭嘉みたいなあんな不道徳な奴使うのやめろ」と何度も言ったのですが、これは、劉邦の時代の周勃とかが、劉邦に対して、天才軍師・陳平のお盛んな私生活や賄賂を訴えたのと似ています(横山「若き獅子たち」にも載ってますが)。それでも笑って郭嘉を重用し、他方でまじめに献言する陳羣も重用した曹操の器の大きさもさすがだと思います。魏ファンの贔屓目かもしれませんが。陳羣は荀イクの娘婿なんですが、当然浮気なんてしなかったと思われます(笑)。
 ゲームの三国志シリーズでは当然軍師としてかなりの知力・政治力を持って登場しますが、いまいち地味な印象がぬぐえません。仲達と並ぶ曹丕の軍師なんですがね。
 どうでもいいですが、陳羣は武力はからっきし駄目だったようですがその息子の陳泰は、なぜか武に優れ、郭淮とともに姜維のにくったらしい敵でした。柴田錬三郎の「三国志 英雄 生きるべきか死すべきか」では、魏の西部戦線に繰り返し登場して、姜維ファンだった僕はムカついた記憶があります。 
 細かすぎるな・・・陳羣特集のブログなんてあまり見たこと無い。マニアック武将列伝になってしまう・・・。

 どうでもいいですが、5万円の家賃を2000〜3000円値上げされたら、別の部屋を探して引っ越しますか?貸す側(副業)なんですが、どうしても値上げしなければならない事情があるのですが、入居者の同意が得られず困ってます。
posted by きよくん at 21:42| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

三国志 曹丕3・完結編 ゲームでの曹丕

 さて、この曹丕シリーズ、長くなってきましたがようやく完結編。ゲームでの曹丕を書きます。
 ゲームでは、三国志の第一シリーズでは、知力74で武力92って、逆じゃないか?と思ったり、なぜか曹操配下において忠誠度が98ということで劉備あたりの高カリスマ君主で引き抜けてしまうというめちゃくちゃな現象がありました。曹丕、さらに孫権を配下にして親兄弟と戦わせるのはオツなものでした。しかし三国志も]になると知力武力ともほぼ妥当とも思われる数値になってますが、もっとも史実に忠実なのは、むしろ懐かしの「ナムコ 三国志」でしょう。武力が大変低いです。
 それらのゲーム上ではなんとなく地味だった曹丕ですが、殻を破ったのは、なんと言っても真・三国無双4。初めて見たとき衝撃を受けました。悪役キャラを極めるとかっこいい・「美しい」(笑)。「踏み潰せ」「跪け」「消えろ」…。なんとナルシスト。キャラでは曹操を超えてます。ここまでキャラを立てるとは、コーエーには脱帽です。父・曹操をことあるごとに矮小化する発言も素晴らしい。「官渡の戦い」での甄姫とのやりとりは、ホストクラブか、午後1時30分からの昼メロか。その求愛に答える甄姫は、悪いやつと分かっていても惹かれていく女心か…。ただ、史実では、甄姫も後の方で「郭氏」の登場によって曹丕の愛が移ろってしまうあたり、かわいそうといえばかわいそうです。甄姫の息子の曹叡が即位して「郭氏」に復讐するあたり、なんとなく曹叡が家光っぽいとも思うのですが(家光の場合は、もちろん実の母を嫌っていたので異なりますが)。曹叡はゲーム中では雑魚キャラ扱いですね。父親である皇帝曹丕に対しても「勝てそうですぜ!」って他の武将と同じセリフだし、そもそも言葉遣いがやくざの「でいり」みたいです。あえてそばに居て「よく吠える虎」ごときの孫権に討ち取らせてみたところ「すんません」って、なんか、親分のかわりに突っ込んであっさりやられた鉄砲玉みたいな・・・。
 
 話を曹丕に戻すと、曹丕の史実での冷酷さを極めたのがこのキャラでしょうか。ただ、あの悪そうな美男ぶりはまた凄いですね。この間ゲームをやっていたら、横で見ていた母が、「なんで柳沢吉保が三国志のゲームに出ているの?」といいました。そうです、「大奥 華の乱」での「北村一輝」演じる「柳沢吉保」に話し方までそっくりです。ただ、ゲーム発売時点は「大奥 華の乱」放送開始前なんで、「大奥 初代シリーズの 徳川家定」をモデルにしたんでしょうか。北村一輝は「夜王」にも出ていますが、やはりそっくりです。
 衣装も、モデル2の「白い曹丕」がいいですね。本当に結婚式の新郎かホストみたいです。ここは的盧に乗せたいところですね。もはや「白馬に乗った王子様」としか見えません。官渡の戦いで白馬をかっぱらってから「戦場に咲く徒花」甄姫のもとへ言って甘いセリフをはけば、そりゃぁ、甄姫だって、袁家と滅びるより曹丕のもとで咲き誇りますよね(ネタバレ注意)。
 ゲームの扱いやすさもまあまあ。ちょっと攻撃範囲が狭い気もしますが、「跪け」と無双乱舞でクールに回転しまくってくれます。ただ、無双モードでそのまま進むと、街亭の戦いくらいまでは何とかなるのですが、強化が追いつかないまま五丈原の戦いになって、ぼこぼこにされてしまいます(下手なだけでしょうか)。魏延の野郎、馬岱とつるんで「我レ…闘イ…求ム…」とはふざけやがって。234年に馬岱に後ろから殺される運命なんですよ、と教えてあげたい(笑)
 本当はフリーモードで強化せずに最後まで行きたかったのに、結局、官渡の戦いでトレーニングしてクリアしました。圧巻は合肥新城の戦いですね。最初のムービーで、曹操の覇業を継ぐことになると言いかけた司馬懿を制して「違うな。曹孟徳の後を継ぐのではない。私はこの私としてただあるがままの天をつかむのだ」とは、自らのアイデンティティの確立の宣言でしょう。そしてクリア後のエンディングでは、天下統一したにもかかわらず司馬懿に対して「あるいは治世のまま奪われるか」「私の目の届かぬ世となったら、お前の好きにするがよい」。司馬懿の芝居(しばい)もお見通しとは、さすが!

 ああ、大変長くなりました。曹丕シリーズはこれで終わります。結局、僕は曹丕(的な冷たい側面のある君主)、好きなんです。やさしいだけでは権力者は務まらない、ということで。この曹丕シリーズ、お付き合いいただいてありがとうございました。


posted by きよくん at 14:45| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

三国志 曹丕2  名君・曹丕

 前回は、曹丕の悪口を先に書きましたが、もちろんただのワルではありません(笑)。今日は、曹丕シリーズ2として、名君・賢明な君主としての曹丕です。
 初代皇帝、事実上の二代目として、それなりの人物でなければ国・権力は続きません。それは、劉禅を見るまでもないことですが。武力では曹彰、文学では曹植が上といえますが、それでも曹丕が跡継ぎになったのは、もちろん(兄亡き後)長子というのもありますが、徳川幕府が初期の「武」から「文」の時代へと移行し、守成の時代に秀忠が適していたように、三国時代が英雄の時代からうつろいつつあったからと思います。その時代は、国を固める能力を持った堅実で有能な人物が出てきます。ただ、派手さが無いのでどうしても物語的には扱いが小さくなるのでしょうが。



 内政面で重要なのは、曹丕のもとで陳羣が整備した「九品中正法」。これは新・官僚制度で、魏滅亡後も存続し、科挙制度につながりました。このこと、意外と扱い小さいような気がします。世界史の教科書に載っていたかな(世界史はとっていないのであやふやです)。大学の行政法の授業ではしっかり力説しておきましたが、学生の反応はいまいち(当たり前か(笑))。
 あと、曹丕の文才は、曹操と曹植にはさまれて目立ちませんが、かなりのものであることは間違いないです。中国人留学生によると、現代中国でも、曹丕も高い評価を受けているそうです。ただ、順序は 1 曹植 2 曹操 3 曹丕 らしいですが(笑)。ただ、天才である曹操と、杜甫以前の「詩聖」曹植と比べてはかわいそうです。
 高校時代の漢文の授業では、曹植の「七歩の詩」は習ったのですが、その授業で、先生は(多分三国志のことをあまり知らないで)、曹丕のことを、純粋に兄弟愛を求める弟をいじめる意地悪なお兄さんとして紹介されていました。なんか源頼朝みたいですね。たしかに意地悪は意地悪なんですが、しかし、クラスに多数居た三国志ファンの中では、曹丕が怒るのももっともだという意見が主流で、曹植は不評でした。これも横山「三国志」での、あの飲んだくれの姿の影響でしょう。細かいことを言えば、漢詩関連で注目は、曹植の詩はほとんど五言詩であるのに比べ、曹丕は七言詩も書いていること。七言詩の方が歴史的には新しい、つまり、形式的には曹丕の方が先を行っていたということになります。
 なお、曹丕は、漢詩では父と弟に一歩譲るものの、「典論」で、「文章は経国の大業にして、不朽の盛事なり」と述べたのは有名です。この「経国思想」は日本にも伝わって、平安中期に史書・漢詩文ブームが起こりました。日本史の授業では菅原道真とか、空海とかが代表者と教えてくれまして、「経国思想」という言葉も教わりましたが、その出所が曹丕とは教えてくれませんでした。こんなマニアックな知識高校生には不要でしょうが。かの蒋介石のご子息、台湾の元総統「蒋経国」の名前はここからとっているのですが、1700年経っても中国では不朽の名言なんでしょうね。



 したがって、トータルで言えば、曹丕は魏の初代皇帝としては、善悪ともに、父に迫るくらいの人物であったとは思います。しかし、司馬家(仲達だけでなく息子たちも)の正体を見抜けなかったのはなぜでしょうか(ただ、次回書くように、ゲーム中ではそれを見抜いていたようですが(笑))。やはり仲達は大狸だったということか。あと、蜀を裏切ってきた孟達(ごとき(!))をお気に入りとして、自ら丸腰の状態で同じ車に乗せるとは、ちょっといろんな意味で軽率かと・・・。人の好き嫌いが激しかったのかもしれないです。
 おろかな人物を「暗愚」といいます。たとえば劉禅など・・・。この図式でいくと、曹丕の場合、暗くて賢い「暗賢」な君主だとも言えます。曹丕シリーズ、勝手に盛り上がって第三章・完結へ続く。

以下、どうでもいい話。真・三国無双4 趙雲・曹丕で無双モードクリアーしてましたが、先ほど凌統で「クリアーしたっつーの」(by凌統 笑)。

posted by きよくん at 15:37| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月18日

真・三国無双4 くらーい曹丕

 いきなりですが、最近、真・三国無双4をようやく真剣にやり始めました。発売同時に買ったものの、仕事が忙しい上に (以下は半分冗談です)寝るのも漫画を読むのもテレビを見るのも忙しい日々。
 その前に買った「決戦V」に半年とられ、「GTジョッキー」に3ヶ月。合間を縫って「風雲 幕末伝」と「三国無双3Empires」、「太閤立志伝X」「F1キャリアチャレンジ」「サッカーライフ」「マイホームを作ろう!2匠」「THE 任侠」「THE ジェットコースター」 やりきれません・・・。
 というわけで久方ぶりにやり始めたので、少し真・三国無双ネタが増えると思います。
 前回の官渡の戦いネタを受けて、今日は、大魏国初代皇帝文帝の曹丕子桓どのに登場願う次第です。
 横山「三国志」をみるに、ちょっと気の強い凡庸なおじさんみたいですが、徳川秀忠と結構かぶっていると思うのは僕だけでしょうか。母が側室であったこと、兄・曹昂が死んだことで跡継ぎとなったこととか、偉大な父と才気煥発な弟達に挟まれたこととか。軍事的才能も秀忠同様いまいちのような気がします。呉の濡須に出陣してこてんぱんにやられ、赤壁クラスの負け方をしたり。
 弟の曹沖が生きてたら、曹丕の跡継ぎの座も、さらには曹沖に継がせたいばかりに曹操が袁紹みたいになって魏も危なかったかも。
 しかしまあ、周知のとおり曹丕の評判はかなり悪い!甄姫を嫁にしちゃったこと、後漢から事実上簒奪したことや、蜀が正統とする考えからすれば憎い敵だし、また、劉備びいきの演義の影響だと思いますが、本当に怖いほど暗い御仁であったことも否定しがたいです。
 まず曹植追放はその最たるものですが有名なのでここではあえて書きません。
 続いて弟の曹熊に詰問の使者を送って自殺に追い込んだ話。
 さらに横山「三国志」には書かれてませんでしたが、曹彰の急死についても怪しいです。曹丕は即位後、曹彰の強さを恐れ、また、ねたんでいたため、都に呼び出した際に兄弟仲良く碁を打っていた最中、こっそりと曹彰の好物のナツメに毒を塗っておいて、毒殺した、とされています。それも、手の込んだことに、毒ナツメを食べた曹彰に水を飲ませて吐き出させないように、井戸の水をくみ上げる釣瓶を破壊しておくという周到さ。どこまで本当かは不明ですが、いやー、この周到さ、惚れ惚れさえしますね。これなら完全犯罪も可能です。古畑任三郎くらいしか解けません。そもそも、目前で碁を打っている相手、それも弟を毒殺するとは。徳川家光も真っ青です。毒を使うあたり、大奥の勢力争いみたいです。それにしても弟2人殺すとは。
 陰険伝説をさらに挙げると、関羽に負けて、その後せっかく呉経由で魏に戻ってきた于禁の扱い。失態を演じはしたものの功臣である、やつれ果てた于禁を、表面上ねぎらいつつ、その降伏の場面をわざと描かせておいた曹操の墓に参拝させて憤死させ、その諡(おくりな)に
災い候という意味の言葉を贈るとは(原語(中国語)を書くと、多分コードの関係で文章が崩壊するので書けません)。死者に鞭打つとはこのこと。「三国志」や「演義」で劉備善人説を引き立たせるための誇張の挿話と思いきや、かなり後の書物『資治通鑑』で、「君主のやることではない」と批判されているところをみると実話で、本当に大人気ないです。
 また、若い頃に借金を申し込んで断られたことを根に持って、皇帝になった後で、叔父上曹洪の位を剥奪するとは、本当に困った二代目です。このあたり、なんとなく信長の林通勝(秀貞)追放とも似てますけど。まあ、偉そうなおじさんは目障りですし、お金の恨みは怖いのですが、ただ、根本的疑問は、金持ちの曹操の息子なのに叔父にお金を借りようとするとは、何にいくらお金を使っていたんでしょうか。曹操が子育てを厳しくしていて贅沢させなかったんでしょうか。それとも親に言えない使い道か?とか考えます。
 ああ、なんて暗くて陰険なんでしょう!しかしそのくらいでなければ君主たるものやっていけません。マキャベリ「君主論」を1300年早く地で行くとは、なかなかの傑物です。あの劉邦だって、皇帝になった後は猜疑心の固まりとなりました。
 暗さも極まれば明るくなる。ブラックホールはホワイトホールにつながる(?)。長くなってきたのでこの続きは次回ということに。
 
posted by きよくん at 18:59| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

真・三国無双4 曹操と袁紹 官渡の戦い 

こんばんは。

 今日は、というかちょっと趣向を変えて官渡の戦いについて。
一般にというか、ちょっと見には、三国志の天下分け目の関ヶ原は「赤壁の戦い」とされることも多いのですが、あれは、曹操が負けて天下統一を逃したので、その意味では関ヶ原とは違うかも。むしろ、三国志における天下分け目は「官渡の戦い」だったように思います。しかしこの官渡の戦い、なぜか影が薄い。それは、「横山光輝 三国志」から三国志に入った(僕もそうですが)日本人が多いからではないでしょうか。なんてったって(アイドルではないですよ=古!)、20巻の冒頭でちょこっと触れているだけです。劉備には直接的には関係無いからっていっても、あんまりな気が・・・。
 戦いは、曹操は兵力・国力が劣るのと、戦上手だったので短期決戦を望んでいたため、袁紹の参謀の田豊は中期的な戦略をとることを進言したのに、袁紹が結果的には間違った選択。ここが分かれ目でした。もっと悲惨なのは、敗戦後に八つ当たりで殺された田豊ですが・・・。戦争自体は、美しい曹操軍に魅せられたのか(笑)張コウ(原稿では漢字やっと出したのに、ブログでは消えてしまう!)・高覧らの裏切り(武帝紀と袁紹伝では二人の裏切りで袁紹軍が負けたことになってますが、張コウ伝では、戦後に郭図による讒言を恐れてとされてます)、曹操の旧友・許攸が兵糧のありかをばらしたため、烏巣に駐屯していた淳于瓊を襲い、兵糧を焼いて事実上終了。裏切りが決定的だったのも関ヶ原と似ているといえば似ています。
 真・三国無双4では、烏巣襲撃時の袁紹のびっくりして裏返った声がちょっとお間抜け。曹丕と甄姫でやると、ホストクラブのような「あまーい」(by スピードワゴン)ささやきイベントが見られるが、そのあたりは曹丕について書くときに書きます。それにしても劉備、一応ゲーム上官渡の戦いに出陣してますが、情けないなー。 名族・名門であらせられる袁紹についてもまた書きますが、この戦いでの袁紹軍は武将でやはりちょっと見劣りします。さらに、この戦いとその後のぼろぼろぶりで歴史上も大きく評価を落としてますが、袁紹は決して無能じゃない、とは思ってます。
posted by きよくん at 19:34| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

真・三国無双3Empires

 こんにちは。
 今日は、真・三国無双3Empiresについて。3月に真・三国無双「4」Empiresが出てしまうので、それまでに何回か書こうと思います。
 このゲームは、両親指を脱臼するほどやった数少ないゲームです(←馬鹿)。他に脱臼したゲームは、真・三国無双2、さらにEAから出ている「F1キャリアチャレンジ」だけなので、いかに面白かったかがわかります(←一層馬鹿)。
 
 何が面白かったかといって、「三国志」を20年間やってきた中で、戦いにアクションが入ればいいな〜と思っていた、まさにそのとおりのゲームだったからで、さらに、やろうと思えば3時間ほどで中国全土を統一できるのが、かえって、繰り返しゲームをやることにつながったからです。
 内容としては、どの勢力を選んでも、その勢力に属する武将でプレイすることが可能で、さらに、武将を捕らえ、引き抜き、また、他勢力を滅ぼした場合には丸ごと武将を配下にして、次の戦いでは使用することが可能という点が画期的です(ただ、定員がありますが)。したがって、マイナー勢力で開始しても、曹操、劉備、孫堅、董卓の本拠地を攻略すると、あっという間に大勢力となり、多くの有力武将でプレイできる、となります。さらに戦闘自体においては、各砦を攻略することで自軍兵が出現するようになり、さらには兵站線を形成して勢力圏を形成でき、その範囲で戦闘すると非常に有利となるなど、それまでの三国無双からは一歩進んだ形になっており、戦闘自体に戦略・戦術性が加わった点もいい点だと思います。これは、「提督の決断」の日米双方の補給線の概念を取り入れたものではないかと思っています(違ってたらごめんなさい)。
 自勢力が広がっていき、武将レベルが上がると、敵も同様に武将レベルが上がっていって、倒しにくくなるので、早期に大勢力をつぶすことが重要です。
 意外に、というかやはり、というか、苦戦するのが南蛮戦。相手のレベルが上がっていると特に大変です。あせってどんどん突っ込むと、後方で別の武将が敗れて兵站戦が遮断され孤立する、さらには相手武将が象に乗っているので地面に落とすまでの間に何回も轢かれて体力を消耗するなど、個別の戦いでも大変な上、じっくりと進めると時間切れになり、さらに、やっと敵本陣に行ったと思うと、そこには象に乗った孟獲が…。レベルが上がった孟獲は異様に強い。ガードをされると堅いし、無双乱舞をされると、最後は力任せに吹き飛ばされる。祝融とそろったときは、ぼこぼこにされることも。南蛮に攻め入ったときのあの独特の音楽とともに、夢に何度も出てきました。
 一応、というか、当然、というか、全勢力で統一したのですが、とくにマイナー勢力でも可能ということから「陶謙」でいきなり曹操と劉備を滅ぼしあっという間に天下統一、なんて面白かったですね。「陶謙」は、「演義」では劉備に国を譲ったので善人とされていますが、本当はどうしようもないダメ君主だったみたいですが・・・。この劉備の味方=善 曹操の味方=悪 は、やめてほしいですね。
 今日はいろいろ長くなりました。三国無双についてはまだまだ書きたいのですが、今日はこのくらいで。


posted by きよくん at 15:48| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月01日

正月なので王道・劉備

 あけましておめでとうございます。
 今日はどのことを書こうかと思ったのですが、ひねくれものの僕ですが、正月くらい、正義の味方・善玉・王者であらせられる、漢第六代皇帝景帝の子・中山靖王劉勝の末裔にして蜀漢先主・昭烈帝であり、かつ、皇叔でもある(以下略(笑))劉備玄徳殿を取り上げることにします。
 小学校の頃に初めて読んだ三国志が「演義」をもとにしている横山光輝の三国志である以上、いい人・劉備、悪人・曹操となるのは当然です。あの頃は若かった(笑)。実際の劉備といったら、もう・・・。「蒼天航路」の劉備(と曹操も)の方がまだ実像に近いでしょう。劉備は高祖・劉邦と似ていたという記述も話半分ですが、それでも、やくざの親分っぽいところがあったのは間違いないでしょう。劉邦も、横山光輝「若き獅子たち」よりは、本宮ひろ志「赤龍王」の方がいいと思います。まあ、横山光輝が連載していたのが主として子供向けの雑誌だったことも影響していると思いますが。いきなり女遊びの場面ばかりでは教育上よろしくないということで(笑)。
 さて、僕が高校の頃に買ったMSX版「三国志」では、当然のごとく、初めてやった君主は「劉備」でした。シナリオ3では、最初はたった1国なのに、やたら武将が多い!直ちに東側の空白地に数名ずつ移動して、兵を雇えるだけ雇い、曹操・孫権・劉表に同時戦争を仕掛け、北部軍は曹操壊滅後は袁紹、南方軍は孫権壊滅後に南方を回り劉璋、中央軍は劉表壊滅後に馬騰を殲滅、結構あっけなく天下統一してしまいました。
 その後、88版でシナリオ1で放浪→旗揚げを繰り返したり、高いカリスマを利用して曹丕や孫堅配下の孫策・孫権を引き抜き、面白かった記憶があります。
 今やっている「真・三国無双」シリーズでは、(これは曹操・孫堅・孫権に共通しますが)武器が剣のため、癖が無く使いやすい武将だと思います。とくに無双乱舞は通常攻撃の最後に出すとコンボ数が結構稼げます。動きも速く、あっという間にシナリオクリアも可能です。ただ、敵に回すと結構弱く、イベントによっては情けなかったりするのはご愛嬌か。
 ちょっと前にはまっていた「三国志戦記」シリーズでは、劉備編で天下統一することが出来たときは、結構感動しました。後の方になると、敵も強くなってなかなかなんです。劉備・関羽・張飛・諸葛亮他で10連鎖をしたときの快感は忘れられません。綿密に計算しても、どっかでずれちゃうことが多いので(笑)。10連鎖、合計で何十万人やっつけたのだろう。核爆弾よりも多いと思います(笑)。


三國志 10 with パワーアップキット

posted by きよくん at 16:10| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

「三国志」「真・三国無双」 姜維伯約

 三国志で、曹操と並んで好きな武将、姜維 伯約(きょうい はくやく)について。
 姜維はご存知のとおり諸葛亮亡き後の蜀を支えた武将ですが、その評価は分かれています。彼は、横山光輝「三国志」では、諸葛亮の北伐の際に「天水の麒麟児」として登場し、緒戦において諸葛亮、趙雲軍を破るものの、諸葛亮の計略により蜀に下りました。その後、諸葛亮に師事し、諸葛亮はその軍略のすべてを彼に伝えようとしました。諸葛亮の死後は、諸葛亮と異なり、内政にはあまりかかわらず、もっぱら北伐を繰り返しました。まあ、その辺はいまさら僕が書くことでもないのですが、、最後の最後、蜀の復活を賭けたギャンブル、あれは、「人生ゲーム」のゴール直前の「人生最大の賭け」みたいで、非常に心惹かれます。
 このブログはゲームのことも書くので、やはりコーエーの初代「三国志」と絡めて書くと、最初の「三国志」、僕が高校1年のときにMSX版を買ったのですが、ひととおり統一した後の興味は、姜維がいつ登場するか、ということでした。まだ「攻略本」というものが発達していない時代、シナリオ5で始めて、長安から西北あたりの国を片っ端から人物捜索する、ということを繰り返し、たしか223年に初めて発見したときは、大変うれしかったことを覚えています。能力のパラメータも高く、趙雲に匹敵するデータでした。ただ、残念なことに、大体その頃には全土を統一してしまっているので能力を発揮する機会が無い(笑)。(その他、司馬師・司馬昭とかも登場が遅いので使いようがありませんでしたが・・・。)
 なお、「真・三国無双」シリーズの姜維は、若々しいのはいいのですが、こじんまりとまとまっていて、使えない武将のような気がします。とくに無双乱舞が使いにくい気がするのですが、僕だけでしょうか?
 この姜維、中国旅行に行ったとき現地のガイドなどに知っているかどうか聞いたのですが、知っている人は誰も居ませんでした。 やはり知名度はいまいちみたいです。

posted by きよくん at 21:58| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

カリスマ・曹操孟徳

 今日は第一回目なので、せっかくなので別ブログでちょっと前に書いて埋もれるに惜しいので、三国志の曹操について書いたものを若干手を入れて第一回目とします。
 僕は、小学校の頃から三国志マニアです。中学校の頃、「三国志」をやりたくて、パソコンを買いました。狂ったように三ヶ月間やり続けました。このことは、また、ゲームネタとして取り上げます。ここでは三国志について書くと、大体誰のファンか、とか言う話になるのですが、曹操孟徳です。ここで細かく書くときりがないのですが、政治学者(僕のことです(笑))の目から見て、曹操ほど優れた政治家、国家の統治者は過去2000年の中でもほとんど居ない人物です。今の日本の「三国志」は「演義」を基にしているので曹操は悪者ですが、原書の「三国志」、さらに「蒼天航路」に見られるごとく、真の三国志の主人公は曹操といって過言ではありません。さらに統治者として優れているのは、その文才です。国を治めるのに関係ないじゃないか、といわれればそれまでですが、漢詩に優れているのは中国では重要な資質と考えられています。
 曹操について書き始めるときりはないのですが、それはまた書くとして、大学に居る留学生によると、中国でも、劉備一辺倒から曹操の再評価が進んでいるということです。「平時の能臣、乱世の姦雄」、今の日本に必要なタイプの人物だと思います。さらに、身長が170センチ無かった、ということで、短足だったというのも親近感が沸きます。
 曹操については、まだ何回も書くので今日はこのくらいに。

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posted by きよくん at 19:13| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする