2006年03月14日

藤堂高虎的生き方

 今日は、藤堂高虎について。
 決戦Vで好んで(最も多いではない)戦に連れて行った武将は、蒲生氏郷・アマリア・そして藤堂高虎です。弓兵隊として援護射撃させてました。
 ただ、藤堂高虎は、一般に評判悪いですね。7回主を変えているのがその理由で、「その時歴史が動いた」でも、主を(コロコロと)変えて出世していったという扱いでした。とくに評判が悪いのが、豊臣家をさっさと見限って徳川家康についた(とされる)こと。このため、豊臣恩顧の大名から嫌われたのは言うまでもないのですが、さらに、家康のお気に入りになったことにより、徳川譜代の武将からも面白くない、と思われました。
 しかし、一つの主にずっと仕えなければならないという価値観は、諸説ありますが、必ずしも当時の主流的価値観ではない(と思います)。生き残るため、出世するために主を変えるのは別に珍しくもないのですが、高虎の場合、一番目立つ・露骨に主を変えたという点で批判されるのでしょうか。また、どんどん出世したのでねたまれたところもあります。
 そもそも、主に正当に評価してもらえなければ、正当に評価してもらうところに移動するというのは、古来、そして、今でも当たり前のことで、終身雇用が崩壊しつつある現代、高虎の身の処し方は高く評価されるべきと思います。主を変えたことでうまくいくかわからないのに行動に移すという行動力、さらに悪評を気にしないという心の強さ、また、新しい主の元で実力を発揮してやるという気概と自分への自信・・・。これこそ、現代サラリーマンに欠如しているものではないでしょうか。さらに言えば、豊臣家に対しても内部ではいろいろあって含むところがあったみたいですし、そもそも裏切りといえるかどうかも疑問です。
 ただ、理由はなんであれ、主を変える性質が250年受け継がれたのでしょうか。戊辰戦争で真っ先に幕府を裏切って官軍についたのが藤堂藩だったのは笑える(ある意味笑えない)話でしたが・・・。
 さて、僕も、正当な評価をしてくれるところに「藤堂高虎」しちゃおうかな・・・(笑)。
posted by きよくん at 14:06| 戦国大名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする