2006年03月03日

若大将・趙雲

 前回の廖化=長寿ネタから若大将・趙雲に話を進めます。
 趙雲についても何度か書く機会があると思いますが、まずは、前回のコメントから続く「若作り」について。

 見た目と実年齢が違う人は今でも多いですよね。僕は実年齢の半分=高校生くらいに見られます。昨日は、自分のゼミの教材について、人数分を生協書籍部に注文に行ったところ、背広を着ていたにもかかわらず、「僕のゼミに所属する学生」と間違われ、店員に「勝手にこんな数の教材を注文していいんですか?先生の許可をもらってきてください」と門前払いされました。後で店長が来て平謝りでしたが・・・。

 さて、趙雲ですが、まず、魏ファンの僕としても、趙雲は姜維に匹敵するくらい好きです。客観的に見ても、蜀の中では、武力、戦略、人格面を総合すると、諸葛亮・関羽・張飛より上だと思います。そのまっすぐさたるや、コーエーの三国志シリーズでは、絶対に卑怯なことをしないという特殊な隠れプログラミングがされていたそうです。
 
 まず、ルックスは、正史によるとかなりの美男子で颯爽としたものだったとか。蒼天航路や三国無双の勇姿はそう的外れではないですね。他方、横山三国志のあの「山田太郎」がごとき絵は、少年向け漫画だとしても、お世辞にも二枚目とはいえません。あれはあれで味があるのですが。

 本題の若作りについては、一応、人名事典などでは、生没年が西暦157年(?)〜229年と書いてあるのもあるので157年生まれとすると、161年生まれの劉備より4歳年上。関羽より6歳、張飛より11歳上、諸葛亮よりは26歳年上です。ちなみに曹操・孫堅は155年生まれですのでほぼ同年代。黄忠は140年代後半生まれと推測されるのですが、ゲーム等のデータでは趙雲と10歳差ありません。おどろくのは、厳顔は、ゲームによっては、162年生まれ!趙雲より5歳年下です。
 趙雲が正式に劉備に従ったのは、劉備が袁紹のもとに落ち延びた際の西暦200年ですから、その時点ですでに43歳だった・・・これは意外です。劉備は大喜びで一緒に寝起きした(変な意味ではありません(笑))ということですが、37歳と43歳のおじさんたちだったということで、まあ、気が合う仲間が増えた、というところでしょうか。
 さて、趙雲の最大の見せ場である長坂の戦いですが、趙雲はすでに50歳だった!これは意外ですよね。阿斗を抱えて単騎曹操軍中を突破する!さらには夏侯恩を真っ二つ! その若々しい武将のイメージの趙雲が50歳・・・石田純一みたいです。
 
 赤壁の戦いの後、桂陽攻めでは趙範の兄嫁との結婚を断ります。その際、横山三国志では「妻よりも武士の面目を重んじる」とか言ってますが、すでに50歳・・・。趙統・趙広という息子が居ることからちゃんと結婚していたことは事実なので、趙範ごときと縁続きになりたくない(趙範はその後逃げ出してますし)というのが本音だと思います。
 さて、漢中侵攻戦では、老黄忠の副将となって、黄忠を年寄り扱いしてます。漫画上のルックスでは親子、祖父と孫と言った感じですが、実際は10歳ほどしか離れていなかったはずです。こりゃ、年寄り扱いされた黄忠も面白くないですね。
 蜀建国後、223年の劉備の死去後に行われた南蛮攻めの際には、66歳以上になっていたはずです。これは体にこたえます。魏延とコンビを組んでますが、年齢差約20歳。ほぼ親子です。諸葛亮の命令を無視して抜け駆けして手柄を挙げていますが、年寄りの冷や水で結構諸葛亮や多くの武将たちは「またあのおっさんが張り切っちゃって」とか言って困っていたりして・・・(笑)。
 さて、227年に始まる北伐、趙雲は70歳くらいです。黄忠が関羽とやりあった年齢を10歳ほど超えています。これは、メンバーから外されても仕方ないでしょう。サラリーマンだったらとっくに定年で年金生活です。それでも無理やり(笑)北伐軍に参加して、曹真軍を破ったりするのですが、相手が弱いのか、趙雲が化け物なのか。天水の戦いで25歳くらいの姜維にこてんぱんにやられても仕方ないでしょう。長年の疲れからか229年に死去してますが、72歳というのは、黄忠の推定75歳に迫るもので、武将としては長生きに入るでしょう。適度な運動(=戦い)と、質素なお食事が長生きした理由でしょうか。
 さて、なぜ趙雲が若いというイメージがあるかというと、やはり、漫画にあるでしょう。横山三国志では若くして登場し、その登場期間中、ルックスがぜんぜん変わりません(これは、ほとんどの武将に当てはまりますが)。白髪とか禿げの趙雲も見たくはありませんが、いきなり老人で登場した黄忠、厳顔とのイメージのギャップが大きくなった理由と思われます。そういえば黄蓋ともあまり年齢が違わないんですよね・・・。
 まさに永遠の若大将・趙雲!加山雄三、石田純一、原辰徳とならび称される素晴らしい若作りと言えるでしょう。
posted by きよくん at 16:33| 三国志 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする