2006年01月11日

信長の野望 決戦V 梟雄・松永久秀 暗殺の後に飲むお茶は…

 こんにちは。今日は、かの悪役・松永久秀についてちょっと。
 信長の野望シリーズで配下にして「古天明平蜘蛛」を巻き上げると、すねて一気に忠誠度が下がるのは面白いのですが、やはり、暗殺させまくるのが一番の使い方でしょう。僕が好きなシリーズ「天翔記」では、グラフィックがどことなくお饅頭みたいな久秀が「暗殺の後に飲む茶はまた格別」と、実にシュールな味を出してくれます。天翔記については、後日、伊東義祐について書くときにまた書きますが、暗殺と引き抜きでほとんど片が付くので別の意味で面白いですね。まあ、まともにすべての城を攻めていったら、統一まで何十時間かかるか分かったものではありません。松永久秀、龍造寺隆信、毛利元就、宇喜多直家、という暗殺大名と、百地三太夫、風魔小太郎、服部半蔵など忍者軍団で暗殺隊を編成して、平時も戦時も暗殺暗殺(笑)。意外なことに善人っぽい徳川秀忠も暗殺技能を持っているんですよね。
 決戦3での久秀は、何度も信長軍と戦います。第8章での最後の戦い自体はそれほど手ごわくないのですが、そこでは柳生宗厳を単騎駆で倒すと戦後に配下に加わるのでぜひ配下にしたいところです。ただ、当然宗厳は強いので、こちらもだれか強化した猛将タイプをぶつける必要があります。僕の場合は、「アマリア」でやっつけましたが。
 久秀は悪役とされますが、その業績(所業?)からもやはり一代の英雄であったと思います。足利義輝暗殺、東大寺大仏殿の焼き払いなんて、悪すぎてある意味爽快でさえあります。部分的には信長を超えているかもしれません。ただ、領土ではいい君主で慕われているみたいですね。このあたり、吉良上野介と似ています。
 ただ、(ゲームのグラフィックと異なり)美男子で文化人として優れた資質があり、その資質は孫(といわれる)の松永貞徳に受け継がれましたが、高校の歴史では、松永貞徳が松永久秀の孫であることなんて教えてくれませんでした(マニアックなので教える必要も無いでしょうが)。また、大変な合理主義者で、自然現象を天意とは捉えなかったとか、仏像は木と鉄の塊に過ぎないとか、信長は久秀を模範としていたのかもしれません。爆死の日が東大寺焼きうちの日と一致したのもただの偶然とするあたり、面目躍如です。そんな久秀が、土の塊の茶器に執着したのもまた面白いものです。
 さて、この久秀、何度も何度も裏切りを重ねたのですが、人間らしいところも。1年が寿命といわれる鈴虫が何年生きるかを実験したところ3年生きたので、人間も125歳まで生きることが出来るはずだ、として125歳まで生きようとしていました。たしかに、人間は本来125歳まで生物学的寿命はあるというのが最近の学説ですが、500年先取りしていたというのは、今の世なら最先端の科学者の仲間入りです(笑)。古代の神武天皇などはみな150歳以上生きていたのですからもっともな話です(←本当ですよ。当時はストレスも化学物質も無い時代、みんな長生きが当たり前でした(笑))。もし、久秀が68歳で爆死しなければあと57年、つまり1635年まで生きていたはずで、これは徳川家光も危ういですね。南光坊天海とともに100歳以上の老人が幕府を陰で操る・・・。そもそも、久秀は爆死せず逃げのび、秀吉の側近となったという説もあります。このあたり、明智光秀が生きていて南光坊天海として家康側近になった説とそっくりです。これはひょっとして、本当に125歳まで生きたかも・・・。そうすれば、古代神話の時代を除くと、日本最高齢記録は泉重千代さんではなく、松永久秀か?(笑)
今日は長くなりました。では。


posted by きよくん at 15:50| 戦国大名 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする